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東京地方裁判所 昭和61年(ワ)70143号 判決

原告

永野惠章

右訴訟代理人弁護士

杉山繁二郎

白井孝一

清水光康

第一、第二事件被告

毛利奈都子

(以下「被告奈都子」という。)

第一、第二事件被告

毛利峰子

(旧姓渡邉以下「被告峰子」という。)

第一、第二事件被告

田中和雄

(以下「被告田中」という。)

第一、第二事件被告

町田宗徳

(以下「被告町田」という。)

第二事件被告

土屋光男

(以下「被告土屋」という。)

第二事件被告

屋宜原総業有限会社

(以下「被告会社」という。)

右代表者代表取締役

町田宗徳

右被告ら訴訟代理人弁護士

長瀬有三郎

主文

原告の請求をいずれも棄却する。

訴訟費用はいずれの事件についても原告の負担とする。

事実

第一  請求

一  第一事件

1  被告田中及び被告町田は原告に対し、各自金一億一五九三万九四五三円及び内金一億一四六八万九四五三円については昭和五八年三月二二日以降、内金一二五万円については昭和五八年七月三一日以降、支払済みまで年六分の割合による金員を支払え。

2  被告奈都子は原告に対し、金五七九六万九七二七円及び内金五七三四万四七二七円については昭和五八年三月二二日以降、内金六二万五〇〇〇円については昭和五八年七月三一日以降、支払済みまで年六分の割合による金員を支払え。

3  被告峰子は原告に対し、金五七九六万九七二六円及び内金五七三四万四七二六円については昭和五八年三月二二日以降、内金六二万五〇〇〇円については昭和五八年七月三一日以降、支払済みまで年六分の割合による金員を支払え。

二  第二事件

1  被告町田及び被告田中は各自金八八七四万〇六〇〇円を、被告土屋は金五八四八万三五六六円を、被告奈都子及び被告峰子は各自金三三一〇万四三八三円を、それぞれ原告に対し支払え。

2  被告町田、被告田中及び被告土屋は各自金三八九万〇八〇〇円及びこれに対する昭和五六年二月二八日から支払済みまで年一割の割合による金員を、被告奈都子及び被告峰子は各自金一九四万五四〇〇円及びこれに対する昭和五六年二月二八日から支払済みまで年一割の割合による金員を、それぞれ原告に対し支払え。

3  原告と被告町田及び被告田中との間において、原告が被告町田、被告田中及び原告を組合員とする民法上の組合である陽明会屋宜原病院の組合員たる地位を有することを確認する。

4  原告と被告町田及び被告田中との間において、原告が別紙物件目録の専有部分の建物の表示記載の建物(以下「本件建物」という。)につき、持分三分の一の共有持分権を有することを確認する。

5  被告会社は原告に対し、本件建物に対する那覇地方法務局宜野湾出張所昭和五八年二月一日受付第二〇〇三号所有権移転登記(以下「本件登記」という。)の抹消登記手続をせよ。

第二  主張

一  請求原因

1  請求全般について

以下のとおり、組合契約ないし共同経営契約が成立した(以下、右各契約により結成された旨原告が主張している組合ないし共同経営体を「本件共同経営体」という。)。

(1) 主位的主張

① 昭和五四年一〇月ないし一二月ころ、荻原龍男(以下「荻原」という。)、毛利汎志(以下「毛利」という。)、島津公一(以下「島津」という。)及び被告町田は、互いに資本ないし労力を出資して共同で病院を経営する旨の組合契約ないし共同経営契約を締結し、同契約において、その名称を陽明会屋宜原病院(以下「本件病院」という。)とすること、荻原に本件共同経営体の業務の執行を委任すること及び本件共同経営体の外部に対する債権債務関係は民法上の組合契約における債権債務関係と同一のものとすること、すなわち、本件共同経営体が外部に対して負担した債務は本件共同経営体の構成員の連帯債務とし、本件共同経営体の財産は本件共同経営体の構成員の共有とすることを定めた。

② 仮に被告町田が本件共同経営体の当初からの構成員でなかったとしても、被告町田は昭和五五年一月一二日に、本件共同経営体の構成員となった。

③ 原告は昭和五五年二月二〇日ころ、被告田中は昭和五五年九月ころ、被告土屋は昭和五六年ころ、いずれも本件共同経営体の構成員となった。

(2) 予備的主張

① 荻原及び原告は、昭和五五年二月二〇日ころ、互いに資本ないし労力を出資して屋宜原病院を共同して経営する旨の組合契約ないし共同経営契約を締結し、同契約において、前記(1)①と同様の定めをした。

② 被告町田、被告田中、毛利及び土屋は昭和五六年九月までに本件共同経営体の構成員となった。

(3) 島津は昭和五五年四月ころ、被告土屋は昭和五七年一二月ころいずれも本件共同経営体を任意脱退し、また、荻原は昭和五七年七月破産宣告を受け、毛利は昭和五九年一月二〇日死亡したため、いずれも本件共同経営体を非任意脱退した。

(4) 毛利は、前記のとおり死亡し、被告奈都子及び被告峰子が毛利の債務を相続した(相続分は各二分の一)。

2  手形金請求(請求一1ないし3)

(1) 原告は別紙手形目録記載の約束手形二通(以下「本件手形」という。)を所持している。

(2) 荻原は本件共同経営体を代表して本件手形を振り出した。

(3) 本件手形は支払のため呈示された。

3  出資金返還等請求(請求二1)

(1) 原告の出資(六七二五万二〇〇〇円)

原告は、本件共同経営体のために以下のとおり出資をした(時期及び金額は以下のとおりである。)。

時期          金額

昭和五五年二月一八日 五〇〇万円

同 二月二五日 一五〇〇万円

同 三月二〇日 一〇〇万円

同 三月二八日 五六三万円

同 五月二七日 五〇〇万円

同 七月一日 一〇〇〇万円

同 七月二一日 七〇〇万円

同 七月二九日 三〇〇万円

同 七月三一日 六二万二〇〇〇円

同 七月三一日 三〇〇万円

同 八月一五日 二〇〇万円

昭和五六年一月三〇日 五〇〇万円

同 二月二八日 五〇〇万円

(以下合計六七二五万二〇〇〇円)

(2) 原告出資時における配当の合意(以下「第一合意」という。)

原告は(1)記載のとおり出資するに際し、原告以外の本件共同経営体の各構成員との間において、原告がその出資金額に対して年一〇パーセントの配当を受ける旨の合意をした。

(3) 昭和五六年六月一日における合意(以下「第二合意」という。)

本件共同経営体の全構成員は、昭和五六年六月一日、以下の合意をした。

① 各構成員の出資金のうち二〇〇〇万円を超える部分を返還する。

② 各構成員は、①により返還しない出資金(原告においては二〇〇〇万円)につき、昭和五六年六月一日から昭和五七年五月三一日までは年一〇パーセント、昭和五七年六月一日以降は、年一五パーセントの割合による配当を受ける。

(4) 原告が支払を受けるべき出資金及び配当金(合計八八七四万〇六〇〇円)

① 第二合意①による出資金返還額四七二五万二〇〇〇円

② 第一合意による配当金 二五九八万八六〇〇円

四七二五万二〇〇〇円に対する、昭和五六年六月一日から同六一年一一月三〇日まで年一〇パーセントの割合による配当金

③ 第二合意②による配当金 一五五〇万円

二〇〇〇万円に対する昭和五六年六月一日から同五七年五月三一日まで年一〇パーセント、同年六月一日以降同六一年一一月三〇日まで年一五パーセントの割合による配当金

(5) 各構成員が原告に対して負担する債務

(4)②及び同③記載の債務については、各構成員はその脱退後は配当金支払義務を負わないので、各構成員が原告に対して負担する債務額は次のとおりとなる。

① 被告町田及び被告田中 八八七四万〇六〇〇円(全期間)

② 被告土屋 五八四八万三五六六円(昭和五七年一二月まで)

③ 毛利 六六二〇万八七六七円(昭和五八年一二月まで)

4  貸金及び立替金請求(請求二2)

原告は左記のとおり本件共同経営体に対し利息年一〇パーセントの約定で金員を貸し渡し、または同共同経営体のために金員を立替払いした。

時期    貸付金立 金額(円)

替金の別

昭和五五年一月一九日 貸付金 五〇万円

同   四月二四日 立替金 一二五万円

同   五月二四日 立替金 三〇万円

同   五月二四日 立替金 七七万八〇〇〇円

同   七月一日 立替金 八〇〇円

同   七月一八日 貸付金 五二万二〇〇〇円

同   七月一八日 貸付金 一〇万円

同   八月八日 立替金 二〇万円

昭和五六年二月二八日 立替金 二四万円

(以上合計三八九万〇八〇〇円)

5  本件共同経営体の構成員たる地位の確認請求(請求二3)

被告町田及び被告田中は、本件共同経営体の存在及び原告が本件共同経営体の構成員であることを否認している。

6  本件建物の持分権の確認及び被告会社に対する抹消登記手続請求(請求二4及び5)

(1) 本件建物(区分所有登記される以前の本件建物該当部分。以下においては区分所有登記の前後を区別せず「本件建物」という。)はもと被告町田の所有であったが、荻原は本件共同経営体を代表して昭和五五年一月一二日に被告町田から三億六〇〇万円でこれを買い受けた。

(2) 毛利、土屋、被告町田及び被告田中は、本件建物についての(1)記載の売買契約の存在を否認している。

(3) 被告会社は、本件建物につき本件登記を経由している。

二  請求二1及び2の被告町田、被告田中、被告奈都子及び被告峰子に対する各請求についての本案前の申立

請求一1ないし3の請求は本件手形に基く手形金請求であるところ、請求二1及び2の各請求原因事実は本件手形の原因関係と同一であるから、請求二1及び2は民事訴訟法二三一条により却下されるべきである。

三  請求原因に対する認否及び被告らの主張

1  請求原因1(1)及び(2)の各事実は否認する。荻原は本件建物を被告町田から買い受け、本件病院を個人で経営していたのであり、毛利は荻原に対する貸金債権者、被告町田は本件建物の売買代金債権者、島津は荻原の事務面の補助者に過ぎない。榎本一郎との昭和五五年一月二四日付け病院長就任契約(以下「榎本契約」という。)において荻原、毛利及び島津が共同当事者となっているのは、前記関係に基づく。但し昭和五六年九月以降は荻原の要請により、荻原、被告町田、被告田中、被告土屋及び毛利が共同で本件病院の経営にあたることとなり、右時点以前において荻原が本件病院経営のために投入した金額を六五九四万二八八〇円であると確定し、これを被告町田らの荻原に対する債務としたこと及び荻原が原告の破産申立により昭和五七年七月破産して右共同経営から離脱したので、東京簡易裁判所における昭和五七年一二月一〇日付け即決和解に基づき、昭和六〇年一〇月五日までに右債務を清算したことはある。

同(3)の事実のうち、荻原が昭和五七年七月破産宣告を受けたこと及び毛利が昭和五九年一月二〇日死亡したことは認め、その余の事実は否認する。

同(4)の事実は認める。

2  請求原因2(1)の事実は認める。

同(2)の事実は否認する。本件手形は荻原が原告に対する個人的借金の担保として昭和五五年四月ないし同年六月の間に額面、支払期日及び振出日白地で振り出したものである。

同(3)の事実は知らない。

3  請求原因3及び4の各事実は否認する。原告の主張する出資金、貸金及び立替金は原告の荻原に対する貸金及び立替金である。

4  請求原因5の事実は認める。

5  請求原因6の各事実は認める。但し、昭和五六年九月ころ本件病院の経営が荻原の個人経営から被告町田らの共同経営に移行した際に、荻原及び被告町田は請求原因6(1)の売買契約を合意解除し、同五八年一一月一日、被告会社が被告町田から本件建物を三億六〇〇万円にて買い受けたものである。

理由

一本案前の申立について

被告は、本件手形金の請求は、支払い義務の存否という原因関係を請求原因としており、本訴請求原因とその事実関係を同一にしているから民事訴訟法二三一条に違背するものである旨主張する。

しかしながら、本件手形金の請求は、被告が手形を振り出したことを理由として手形法上の請求権を行使しているものであり、その後、訴訟当事者の争点整理の結果、右手形振出の原因関係が直接の争点となったことにより、判断される事実関係が同一となったとしても、これは同一訴訟手続き内における争点整理の結果であるし、なお請求権を基礎づける法的根拠を異にすると解される以上、直ちにそれが民事訴訟法二三一条に該当するものと解することはできない。

二〈書証番号略〉、証人石井政行の証言、原告、被告町田及び被告田中の各本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められる。

1  荻原は昭和五四年一〇月ころ、不動産ブローカーから沖縄において被告町田が本件建物を三億円で売りに出しているとの話を聞き、これを買い取ったうえ病院を建設し、個人病院として一、二年実績を作った後医療法人化することを企画し、医者である八矢某、医療機械会社の役員である石塚某のほか、角谷某や毛利に対し医者の手配や資金の準備についての協力を依頼するとともに、島津に許認可関係の手続や病院が経営的に成り立つかについての調査をさせ、昭和五四年一二月二七日被告町田から同人が本件建物を荻原に売り渡すこと及び被告町田において荻原が右売買代金支払のため銀行融資を受けられるよう手配することを確約する念書を徴したうえ、同五五年一月一二日、被告町田から本件建物を三億六〇〇万円で買い取る旨の売買契約を締結し、手付金三〇〇〇万円の支払のため額面一〇〇〇万円の手形三通を振出交付したが、荻原が右売買契約を締結して沖縄から帰ってきたところ、前記協力を依頼していた者のうち、毛利及び島津を除く全員が、立地条件が悪いとして沖縄に病院を設立する計画への協力を拒否した。

2  八矢等から協力を拒否された荻原は、自ら榎本一郎に対し本件病院の院長となるべきことを依頼し、昭和五五年一月二四日右榎本が院長に就任する旨の約定が締結された(榎本契約)。榎本契約においては荻原のほか、当時荻原に対し約五〇〇万円を貸し付けていた毛利(但し、右貸付金は同年二月末ころ返済されている。)及び毎月二〇万円ほどの報酬を得て病院設立のための事務的作業を担当していた島津(但し、島津は本件病院が開院した昭和五五年五月ころ以降は本件病院に関与していない。)が契約当事者として表示され、本件病院は右榎本の個人病院とし医療法人陽明会設立手続も医師である同人が行なうこととするが、本件病院の経営及び医療法人陽明会設立のために右榎本が対外的に負担する債務については荻原、毛利及び島津が責任を負うことが定められていた。

なお、荻原は、昭和五四年一二月ころ「医療法人陽明会設立準備委員会規約」(以下「旧規約」という。)及び「医療法人陽明会設立実行委員会約款」(以下「旧約款」という。)と称する文書を、当時荻原に対して協力を約束していた前記八矢等と荻原の連名の形式で作成し、八矢らが荻原への協力を拒絶した後もこれを保管していた(但し、毛利は旧規約及び旧約款上、委員または理事として記載されていない。)

3  荻原は、本件建物の売買代金を前記角谷や琉球銀行からの借入により支払うつもりであったが、1記載のとおり角谷らが協力を拒否し、又、前記町田からの念書に反し、株式会社琉球銀行から荻原に対する融資も実現しなかったので、たちまち資金繰りに窮することとなった。そこで、昭和五五年一月末、荻原は同四八・九年ころからの知人であり、それまでもいくつかの事業において荻原に資金を提供していた原告に対し、被告町田との間で締結された前記念書及び売買契約書のほか、旧規約及び旧約款の委員ないし理事名の欄の全部または一部を抹消したうえに荻原、被告町田、前記榎本の記名を記載して作成した被告町田らが委員または理事として表示された規約及び約款(以下「新規約」及び「新約款」という。)を示して、四〇〇〇万円の資金協力を依頼したが、それ以前に荻原の企画に出資して約三六〇〇万円もの損をしていた原告は興味を示さなかった。しかし、手付金支払のために振り出した前記約束手形の決済資金を早急に調達する必要に迫られた荻原は、同年二月中旬、原告に対し送金を懇願し、原告も右手付金が支払われないために本件建物の売買契約が解約されてしまえば、すでに荻原に対して有していた約三六〇〇万円の貸金の回収がますます困難となるし、逆に本件病院設立の企画が成功すればこれを回収することができると考え、前記三六〇〇万円を病院経営事業の収益から返済すること、原告に顧問料として月々三〇万円を支払うこと及び原告に返済すべき金員については年一割の割合による利息を支払うことを条件に、荻原の要請に従って、送金したり、必要な金員を立て替えたりすることとし、右送金等は、株式会社大和銀行六本木支店「ヨウメイカイリジチョウオギワラタツオ」名義の当座頂金口座(口座番号804565)に振り込むなどの方法でなされた。

4  被告町田は本件建物の売り主であるとともに、右売買代金の支払について荻原に対して株式会社琉球銀行から融資が得られるよう取り計らったり(但し、前記のとおり融資は実現しなかった。)、荻原の依頼により沖縄に常時滞在できない荻原のために本件建物を病院に改装するにつき設計士や土建会社を手配するなどして本件病院の開設準備に従事し、また開設後も決算処理について相談を受けるなどしていたが、被告町田は、本件建物を昭和五三年九月ころ買い取ったものでもともと自ら病院を経営する計画を有していたのを医師の確保ができなかったことなどから断念して本件建物を売りに出したという経緯があり、荻原との間で本件建物の売買契約を締結する際には病院経営に参加する意思はなく、また、荻原は、昭和五五年二月ころにおいて、本件建物の手付金として振り出した約束手形の支払ができなかった場合、本件建物の売買契約が解約されるものと考えていたのであって、被告町田が本件病院の共同経営者であるとの認識を全く有していない。更に、被告町田が昭和五六年一二月末までに本件病院から支払を受けた金員(約一億四〇〇〇万円)のうち、被告町田に本件建物売買代金利息相当額として支払われた金員(昭和五六年三月までは医療設備のリース料名目で一六〇〇万円、それ以降は建物設備使用料として毎月二〇〇万円)以外は本件病院の決算上被告町田に対する貸付金として(但し、うち三〇〇〇万円は開業費として)処理され、後に右貸付金債権と本件建物売買代金債権を相殺して清算することになっていた。

また、被告田中は昭和五五年九月ころ以降、荻原に対し、本件病院の運転資金として計約六七〇〇ないし六八〇〇万円を貸し付けたほか、荻原の依頼を受けて本件病院の決算書類を作成するなどしたが、右貸付金については年利一五パーセントの利息を支払うこととなっており、かつ、本件建物には被告田中を債権者、荻原を債務者とする極度額五〇〇〇万円の根抵当権が昭和五五年一〇月三〇日設定されている。

5  原告は、昭和五五年七月一日、原告を債権者、荻原を債務者、債権額を七七二〇万二九〇二円、利息年一割とする金員貸借契約公正証書を作成し、さらに、右債権の内訳を明らかにするため、右公正証書作成の資料である原告及び荻原作成の「沖縄屋宜原病院関係立替金明細」と題された文書に昭和五五年九月二二日付けで確定日付を付したが、右明細には本件病院に関する債権のほか、原告が従前荻原に対して有していた本件病院と直接関係のない約三六〇〇万円の債権も計上されていた。また、原告は、右立替金明細に表示されていない債権を公正するため、原告及び荻原作成の「沖縄屋宜原病院関係55.7.1公正証書作製外の貸付金明細」と題された文書に昭和五六年六月二四日付けで確定日付を付したうえ、同年五六年七月二日、右明細に基き、原告を債権者、荻原を債務者、債権額を三三〇七万三二七三円、利息年一割とする金員貸借契約公正証書を作成した。

なお、原告は昭和五五年七月ころ、別紙手形目録1記載の手形を荻原から額面、支払期日等白地のまま交付を受け、同五八年三月ころ、前記各公正証書記載の金額に年17.9パーセントの割合の損害金を付した金額等を合計した金額を補充した。

6  荻原は、前記のとおり原告、被告田中、被告毛利等から金員の借り入れをして本件病院を経営してきたが、多額の借入により資金繰り窮し、昭和五六年六月ころ、被告町田、被告田中、毛利及び原告に対し、共同経営として本件病院を運営したい旨の申し入れをし、同人らの内諾を得た。

しかし、原告は、昭和五六年五月ころ以降、被告田中らが作成した本件病院の昭和五五年度決算について、被告町田に関する開業費の計上の仕方に不正があると主張し、また、原告が本件病院に対して直接出資した金額が一億円を超えることを前提として、そのうち一億円を借入金や勘定から資本勘定に組み入れることを要求していたため、共同経営の計画は具体化せず、昭和五六年八月中旬ころ、荻原、原告、毛利、被告町田、被告田中らが伊豆のホテルで「発起人会」と称する会合をもったものの、原告が被告町田に関する本件病院の経理関係の説明を執拗に要求したため、同会合においても共同経営に関する話し合いはなされなかった。

7  そこで、昭和五六年九月ころ、荻原、被告町田、被告田中、毛利のほか、そのころ新たに本件病院の経営に参加することとなった被告土屋は原告が被告町田らと共同で本件病院を経営する意思がないものと判断して、原告を除く同人らのみで本件病院を共同経営することとし、共同経営の内容として、各人がそれぞれ二〇〇〇万円を出資すること、原告が荻原の本件病院経営のために同人に送金するなどした金員は、既に原告が荻原個人を債務者とする公正証書を作成していたことや原告の主張する金額が被告町田らの認識と食い違っていたことから、これを荻原個人の債務として処理することとし、右処理を前提として、荻原が本件病院経営のために既に出資した金額を金六五九四万二八八〇円と確定してこれを被告町田らの荻原に対する債務とすること、被告田中らが荻原の病院経営のために同人に貸し付けた貸金のうち二〇〇〇万円については右共同経営に対する出資として当分の間利息は支払わないこと及び荻原と被告町田との間の本件建物売買契約を合意解除し、被告町田に対し既に支払った売買代金は同人への貸付金等として処理することが定められた。

8  荻原は昭和五七年七月九日破産宣告を受け、前記共同経営から離脱することとなったので、被告町田らは右破産手続における破産管財人と協議の結果、右破産管財人と被告町田らとの間において昭和五七年一二月一〇日、東京簡易裁判所において荻原が右共同経営から離脱する清算金として金六六四五万七七二四円を榎本一郎が(実質的には被告町田らが)破産管財人に支払う旨の即決和解が成立し、右金員は被告町田ら及び昭和五八年一〇月ころ被告町田らから営業権の譲渡を受けた森根優が昭和六〇年一〇月五日までに前記破産管財人に完済した。

三本件訴訟における直接の争点は、屋宜原病院が民法上の組合あるいは民方上の組合に準じた無名契約である共同経営契約による組織を構成しているか否かである。

1  民法上の組合とは、組合契約によって結成される団体をいい、各当事者が共同の事業を営むことを約して出資をすることが必要である。組合を設立するには、通常、二人以上の発起人が、組合設立のために協力すべきことに合意し、設立準備委員会を組織する等具体的な設立に必要な準備行為を行うのが通例である。このように民法上の組合は、準備活動という共同事業の遂行を行うことの合意の成立と出資により成立するが、右出資は、組合目的達成のために拠出される経済的手段の一切をいい、必ずしも金銭に限られず労務あるいは信用等であってもよいと解されている。

そこで、まず、屋宜原病院が、原告の主張のように民法上の組合契約によって結成されたか否かについて検討する。

2  原告は、まず、荻原、被告町田、毛利、島津は、昭和五四年一〇月から昭和五四年一二月までの間に民法上の組合を結成し、その後、原告、被告田中及び被告土屋が右組合に加入した旨主張する。

被告町田は、昭和五三年九月ころ、本件建物を買い取ってこれを改修して病院を経営することを企図したが、医師の確保ができなかったことなどの理由からこれを断念し、昭和五四年九月ころ、これを売却することとしたこと、本件建物が売に出されていることを知った荻原は、これを買い取り医療法人組織の病院の経営を企図し、同年一二月には、医療法人陽明会設立準備規約等を作成する等右計画の現実化に向けての作業をしたが、関係人の協力の確保が困難となったこと、その後、榎本一郎医師を改めて院長に迎えて病院設立を進め、昭和五五年五月二四日、開院式を行うに至ったことは、前記認定した事実のとおりである。

右のとおり、被告町田は、本件建物を買い取って屋宜原病院を開設することを計画したが、将来的にこれを医療法人組織による運営を計画していたとは認められない。右計画は、医師の確保ができなかったことから遂行ができなくなり、結局、本件建物を他に売却することとして右病院設立計画の遂行を断念するに至ったもので、右計画の遂行に当たって病院開設の準備委員会的な組織が結成されたことはないし、また、このような組合の成立を前提として計画を実施することが予定されていたという事実は認められない。また、被告町田の右計画の実施に当たっても、関係人ら間において組合契約が締結され、民法上の組合としての組織・運営がなされ、関係人がそれぞれ組合契約に基づく出資を実行したという事実関係も認められない。被告町田は、前記のとおり医師の確保ができなくなった以降、病院設立計画の継続を放棄し、本件建物を荻原に売却することとしたが、この間においても、被告町田が、関係者らと協議する等してその総意にしたがって荻原への売却を決定したとは認められないところである。その後に遂行された荻原の陽明会屋宜原病院設立計画は、被告町田のそれを承継したものでないことは明らかである。

荻原は、医療法人の設立に向けて医療法人陽明会設立準備委員会規約、事業計画書等を作成し、その委員欄や経営者欄に北原某、角谷某、島津らの氏名を記載した。これは医療法人の認可を得られた場合には、法人の役員となってもらうこととして、医療法人陽明会の設立について、援助協力を得ることについての了解を得た上で右文書にその氏名を記載したものである。組合契約の成立に当たっては、個別的に順次契約をすることも可能であるが、先に認定したように、予めこれらの関係者が、陽明会屋宜原病院設立の共同目的のための組合契約の締結を前提とする合意をしたとは認められないし、組合目的遂行に必要な出資をしたとも認められない。右規約等も、組合組織・機構あるいは運営等に関して具体的な協議がなされた上で右規約等が作成されたとは認められないし、その合意の結果に基づいて右規約等が定められたものでない。しかも、その後において、これらの関係者が、医療法人陽明会設立のために何らかの具体的な活動をした事実はなく、荻原が主体となってその活動をしていたにすぎないといわざるを得ない。また、荻原は、陽明会屋宜原病院理事長なる名称をもって本件手形を振出す等しており、陽明会屋宜原病院は、将来設立しようとする病院の名称であるが、関係人の合意のもとに荻原を組合の代表者として指名し、組合の対外的・体内的業務一切を委任したという事実もない。その後、右協力を約した関係者らは、右了解後程なくして協力関係から離脱するに至ったものであり、結局は、荻原が当初予定していたとおりの病院設立には至らなかったものである。屋宜原病院設立計画から離反した右関係者らも、その脱退に当たっては格別清算に関する請求等を何らしていないし、その間の関係者らの行為をみても、民法上の組合契約が締結され、民法上の組合としての組織や運営、出資等がなされたとする具体的かつ明確な合意の成立を前提としていたとは到底認められないところであるといわざるを得ないし、結局原告が主張するように組合契約の合意が成立し、その合意に基づいた計画の実施が図られたというような事実関係は認め難いところである。右規約等は、むしろ、荻原が自己の計画の実現に向けて作成したもので、それ自体は何ら実体のない名義だけの存在であると解するのが相当である。したがって、荻原の前記規約等の作成とこれに委員及び経営者として氏名を記載したという事実あるいは荻原が理事長名をもって行動していたという事実のみをもっては民法上の組合が成立したと認めることはできない。

結局、昭和五四年一〇月ないし一二月の時点において、被告町田、荻原、毛利、島津らの関係者が病院設立を目的とする組合の結成を企図して何らかの共働関係にあり、病院設立を目的としての組合結成に向けて協議を重ねたという事実関係を認めることはできないし、実質的にも民法上の組合としての組織あるいは規約等が完備し、それに従って組合活動が行われた形跡も認められない。また、組合契約の締結を前提として、組合目的達成のために、必要な出資が現実になされたと認めることもできないのであって、原告の右主張は採用できず、これを前提とする他の者の組合加入の事実も認めることはできない。

3  原告は、右主張が認められないとしても、昭和五四年一〇月ころから昭和五四年一二月ころの間に、荻原、島津、毛利が、病院設立を目的とする民法上の組合を結成し、その後、原告、被告町田、被告田中及び被告土屋が右組合に加入した旨を主張する。

荻原は、昭和五四年一〇月ころ、本件建物が売りに出されていることを知り、被告町田から本件建物を買い取って医療法人陽明会による病院経営を計画することを企図し、医療法人陽明会設立準備委員会規約や事業計画を作成する等して、病院開設のための準備を開始したものであって、少なくとも被告町田の病院開設計画の放棄以前において陽明会屋宜原病院開設の計画を企図していたことはない。加えて、荻原の右計画が被告町田の前記計画を承継したものではないことは、先に述べたとおりである。

ところで、右計画の遂行に当たって、毛利、角谷、島津らの協力方を得ることの了解を取り、前記規約等を作成し、その委員欄や経営者欄にはこれらの者の氏名が記載された(但し、毛利の氏名は記載されていない。)が、その後、右規約等にしたがって具体的な設立準備活動は何らなされていないし、また、規約等に委員や経営者として記載された者が、医療法人設立に必要な準備行為に参画したという形跡もない。むしろ、右計画自体が、昭和五五年一月ころには、これらの者の間で設立計画に対する協力を取り止める動きが出てきたりして、その遂行が困難となった後において、荻原は、右氏名を勝手に加削して新たな規約等の作成をしているのである。このような事実関係に照すと、荻原の医療法人陽明会による病院開設計画は、いまだその協力賛同者を得る段階であり、右の者らが医療法人設立に向けて具体的な設立準備活動を行うべきことを約して、設立準備委員会的な組織を成立せしめることの合意をしたとは到底認められないところである。しかも、右の関係者らは、右に述べたようにその後、何らの設立準備活動をしていないし、具体的な出資に関する定めをすることなく経過しているのであるから、いわば組織としては何ら実体のない名義だけの存在であると言える。また、榎本契約において荻原のほかも毛利及び島津が契約当事者として表示されているものの、島津は荻原から月々二〇万円程の報酬を得て、荻原を事務的な面において補助していたにすぎない者であり、毛利も荻原に対し融資をしてはいるが、その額は病院設立に要する費用全体及び被告町田、被告田中及び原告らの出資額に比較すれば僅かの金額といいうるものであり、また、旧規約等及び新規約等のいずれも委員ないし理事として氏名が記載されていないのであって、榎本契約はその文言にかかわらず、対外的債務は荻原が負担すべきことが荻原、毛利及び島津間で合意されていたものと認められるから、榎本契約の存在をもって民法上の組合が結成されたとの事実を認めることはできない。したがって、昭和五四年一〇月から昭和五四年一二月の間に、原告が主張するような病院設立計画が荻原、毛利及び島津間において企図され、これらの者の間において民法上の組合が成立したとする原告の主張は採用し得ないし、これを前提とする前記主張も理由がない。

4  ところで、原告は、被告町田が、昭和五五年一月、陽明会屋宜原病院に対して本件建物を売り渡し、さらにその売買代金支払のために銀行融資の斡旋をしたことにより、組合員となった旨主張する。

先に述べたように、荻原は、医療法人組織による病院経営を企図して被告町田から本件建物を買取ることとしたが、その資金の確保ができなかったため、原告が主張するように被告町田が荻原のために銀行融資の斡旋を実行した経緯は存するが、右融資金は、むしろ本件建物買取のための資金として供されており、その後においても経理上そのように処理されているのであって、これが民法上の組合設立のための出資として提供されたとする証拠はない。しかも、右被告町田の出資の際に、被告町田と荻原との間において、陽明会屋宜原病院設立の方針や今後の経営の在り方等右病院設立に関する具体的な事項についての合意あるいは出資方法についての取り決めが行われ、これに関した具体的な合意が成立していたことを認めることもできない。従って、被告町田の右出資行為が直ちに組合員としての参加と認められるものでない。

さらに、旧規約等が実体のない存在であることは既に述べたとおりであるが、その後、荻原は、新たな院長を選任した上で、被告町田を含む新たな者の氏名を記載した規約等を作成した。しかし、右規約等は、その作成経緯及び内容・形式等に照して、関係者間の了解のもとに作成されたものとは到底認められない。

また、原告は、昭和五五年一月末ころ、荻原から組合への参加出資を勧奨され、同年二月二〇日ころ、組合に加入することとして同月二五日ころ金二〇〇〇万円を出資した旨主張するが、右に認定したとおり、右のころ屋宜原病院が民法上の組合としての実体を有する組織が存していたとは認められないところであるから、かかる主張は採用し得ない。

5  さらに、原告は、仮に原告が昭和五四年一〇月から昭和五四年一二月ころの間に、荻原、被告町田、毛利、島津により結成された民法上の組合に参加したものでないとしても、屋宜原病院は、昭和五五年二月二〇日ころ、荻原と原告の両名によって結成された民法上の組合であり、被告町田、被告田中、毛利及び被告土屋は、昭和五六年九月ころまでに民法上の組合である屋宜原病院に加入したと主張する。

しかしながら、既に述べたとおり、屋宜原病院が、昭和五五年二月二〇日ころ、民法上の組合としての組織と実体を具備した団体が成立し、その後民法上の組合として対外及び対内的な活動をしていたことを認めるに足りる事実はない。また、屋宜原病院は、昭和五五年五月二四日開院したが、荻原の意とするところにしたがって運営され、管理されていたものと認めるのが相当であり、民法の規定するところにしたがって運営管理がなされていた事実は認められないし、昭和五六年九月以降においても原告との関係においてはその実体に格別の変化があったとは認め難い。したがって、原告と荻原の間においてまず民法上の組合が結成されたとの原告の主張は採用できず、また、これを前提とする他の者の組合加入に関する前記主張も採用できない。

6  原告は、屋宜原病院が民法上の組合でないとしても、この構成員が債権及び債務について連帯関係となる民法上の組合に準じた無名契約により成立した団体である旨主張する。

前記認定した事実を綜合しても、原・被告らの関係者間において、屋宜原病院の団体としての構成・管理運営に関する合意が成立しあるいはそれに関した規則等が制定されたということはないし、実際にも原・被告らの関係者がそれにしたがって義務を負担することを具体的に約したということもない。まして、荻原が、屋宜原病院の設立や運営に必要な資金を借り受ける等したが、これら債権債務についても関係者相互間の権利義務として構成される旨の合意が特になされたという事実関係を認めることもできない。

以上のとおりであるから、屋宜原病院が民法上の組合でないとしてもこれに準じた団体であるとする原告の主張も採用し得ない。

7  以上のとおりであるから、民法上の組合ないし民法上の組合に準じた無名契約の存在を前提とする原告の主張はいずれも理由がない。

四本件手形の支払義務の有無について

原告の主張によれば、荻原の振り出した本件手形について被告らが支払義務を負うのは、民法上の組合である屋宜原病院の業務執行を担当していた荻原によって振り出されたものであるというにある。

しかしながら、本件手形は、荻原が、屋宜原病院の運営の必要から借入れた資金等の支払のために振出されたものである。このことは、原告は、屋宜原病院とは直接関係のない荻原の債務や原告と荻原とが取り決めた遅延損害金も含めた金員等をもって白地補充をしているのであり、これらの事実を鑑みても明かといわざるを得ない。加えて、屋宜原病院が民法上の組合ないしこれに準じた団体と解し得ないことは、先に述べたとおりであるから、被告らが、原告に対し本件手形の支払義務を負うものではない。

五出資金等の返還請求について

原告は、原告の出資金については、組合との間でその主張するような合意あるいは決定がなされた旨主張する。

民法上の組合ないしこれに準じた無名契約の存在を前提とする出張の採用し得ないことは、既に認定したとおりである。しかも、原告は、組合としての合意あるいは決定がなされたとするが、その具体的な時期や内容等は必ずしも分明ではないし、屋宜原病院自体が、配当を約するような利潤を得ていたとは認められないところであり、また、特段の事由がないのに特定の組合員に対してのみ出資金の返還を決すること自体合理性がない。原告が主張している出資金等については、これを荻原が屋宜原病院経営のために原告から借り受けた債務として処理されており、原告も本訴に至るまで荻原に対する債権として請求権を行使しているのであって、屋宜原病院が民法上の組合であると解していたかいささか疑問のあるところでもある。

原告の右主張は、理由がないので採用し得ないし、これを認めるに足りる証拠もない。

六本件建物の持分権の確認と登記抹消請求について

本件建物は、昭和五五年一月一二日、荻原が被告町田から買い受けたものであるが、その売買代金を支払うことができなかったため、昭和五六年九月、右売買契約は解除され、昭和五七年一一月五日設立された被告会社が、昭和五八年一月一日、被告町田から買い受け、同年二月までにその代金三億六〇〇万円を支払い所有権移転登記手続きを了した。本件建物は、荻原が医療法人陽明会を設立することを企図し本件建物を被告町田から買い取ったものであることは褸々述べたところである。したがって、本件建物を民法上の組合ないしこれに準じた団体である陽明会屋宜原病院が買い取ったことを前提とする原告の主張は採用しない。

原告は、被告会社と被告町田との売買契約は、通謀虚偽表示であると主張するが、売買代金の支払いも現実になされており、それにしたがった所有権移転登記手続きもなされたものである。原告の右主張を認めるに足りる的確な証拠はない。

七よって、原告の本訴請求をいずれも棄却することとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官星野雅紀 裁判官坂野征四郎 裁判官山之内紀行)

別紙物件目録

(一棟の建物の表示)

所在 沖縄県中頭郡北中城村字屋宜原七二二番地、七二七番地、七二八番地

建物の番号 屋宜原病院

構造 鉄筋コンクリートブロック、鉄筋コンクリート造陸屋根六階建

床面積 壱階 1144.89平方メートル

弐階 912.54平方メートル

参階 451.76平方メートル

四階 451.76平方メートル

五階 401.02平方メートル

六階 25.66平方メートル

(専有部分の建物の表示)

家屋番号 字屋宜原七二二番

種類 病院

構造 鉄筋コンクリートブロック造陸屋根六階建

床面積 壱階 649.03平方メートル

弐階 410.23平方メートル

参階 443.76平方メートル

四階 443.76平方メートル

五階 393.67平方メートル

六階 24.11平方メートル

別紙手形目録

約束手形

一 金額 一億一四六八万九四五三円

支払期日 昭和五八年三月二二日

支払地 沖縄市

支払場所 株式会社琉球銀行諸見支店

振出地 沖縄県中頭郡北中城村

振出日 昭和五六年六月一日

振出人 陽明会屋宜原病院理事長荻原龍男

受取人 永野惠章

二 金額 一二五万円

支払期日 昭和五八年七月三一日

支払地 沖縄市

支払場所 株式会社琉球銀行諸見支店

振出地 沖縄県中頭郡北中城村

振出日 昭和五五年五月五日

振出人 陽明会屋宜原病院理事長荻原龍男

受取人 永野惠章

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